吾輩はヅカオタである。

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宇月颯さんの退団に際して

宇月颯さんの退団に際して何も言えないでいます。いや別に言う必要はないんですけど。
まだ実感が湧かなくて、さみしくて、うまく言えないです。
宇月さんのことが大好きです。
でも、贔屓という言葉を使って応援しているような立場ではなく、私はただの宇月さんのファンで、宇月さんは月組を観劇する際の楽しみで、とびきり好きな生徒さんのうちのひとりです。


宇月さんの退団公演である「カンパニー/BADDY」を何度か観ましたが、退団を意識する場面もなく(それはいいことだと思います)、あまり実感が湧きませんでした。
宝塚の千秋楽近くに観劇したときは心して観たので、宇月さんのダンス、カッコよさ、歌声、笑顔をこの先ずっと覚えています。宇月さんの反りが大好きでした。あんな風にかっこよく踊る男役さんにまた出会えたらいいなと思います。
終演後ロビーで一眼レフカメラで宇月さんの壁掛け写真を真剣に撮っていた方が印象的でした。


そういば、マイ初日の話なんですけれど、「BADDY」のデュエットダンスの影ソロの歌がすごくいいなと思って、終演後すぐにプログラムをめくり歌っている方を確認ました。歌っていたのは宇月さんで、私が宇月さんを好きになったのは間違いなかったなと思いました。好きなのに気付かないのかよ!というツッコミはなしでお願いします。


千秋楽の日も思いを馳せる時間もあまりなく、気付けば夜でもう宇月さんはあの舞台に立たないんだなと思いました。あ~宇月さんのお花はどんなだったんだろう~とインターネットの海を彷徨うと黄色の花束を持った正装の宇月さんに出会いました。
びっくりした。なんとなく宇月さんは青色などのかっこいい花束を持つような気がしていました。それはただの宇月さんのライトなファンが思っていることなので、ただのイメージなんですけれど、そんな風に思っていました。

黄色のバラだけを持った晴れやかな宇月さんの写真を見て、やっと涙が出ました。
宇月さんが黄色の花だけを持ったこと、もうそのことが全てだと思いました。
退団で持つお花を考えたときに思い浮かんだのが黄色で、選んだのが黄色で、それが全てだと思います。

 

宇月颯という男役が見せた全てが大好きでした。東京公演が終わる最後の一秒まで応援しています。

 

 

長生きはするもんだ

宝塚歌劇を好きになって、過去の映像もたくさん見ました。

いつの宝塚歌劇も楽しくて、つい口ずさんでしまいます。

ああ、これはぜひ観たかった!と思った作品が「Exciter‼」と「シトラスの風」です。どちらも私が好きになってから再演され、観ることが出来ました。再演されるだけはあって客席も待っていましたと言わんばかりの手拍子、盛り上がりもひとしおでした。
観劇出来た嬉しさ、観劇できた嬉しさと共にやっぱり大劇場で観てみたかった、当時大劇場の客席でいられたらと思ってしまいました。

そんなことはもう無理だけど、宝塚のためのあの劇場で観たかったと思わずにはいられませんでした。

 

そんな私にやってきた「シトラスの風 Sunrise」のニュースです。
宝塚、本当に何が起こるか分からないところです。

 

ミラーボールが回って、あの明るくワクワクする「テーンテーンテーンテーンテンテン」という音楽に鳥肌が立ちました。

このすばらしい演目を大劇場の客席にいて観られるということ!緞帳が上がって淡く爽やかなお衣装を着た大好きな宙組生!階段が開いてそこから登場するトップスターさん!まどかちゃんのあのお衣装の似合いっぷり!
どこを切り取っても嬉しかった。爽やかでありながら、若さというパワーを感じ、新しい何かが始まる期待感にときめきます。


大劇場いっぱいに響き渡る「明日へのエナジー」は本当に幸せでした。

歌もダンスも力いっぱいで客席にいるだけでパワーをもらいます。

「夢は天から来た未来の姿よ、夢を信じて」大好きな歌詞です。キレッキレダンスのすっしぃさんに、シンガーあおいさんが20年経ってもいてくださることに感謝の気持ちでいっぱいです。
20年前の宙組生はどんな気持ちで「明日へのエナジー」を歌ったのでしょうか。期待、緊張、喜び、恐れ、いろいろなことがあったであろう新組発足に思いを馳せてしまいます。宙組が生まれたことに感謝します。
大劇場で「シトラスの風」を観たいという私の願いが叶いました。

 

初めて映像で「シトラスの風」を見たときには、こんな日がくるなんて思いもしませんでした。生きていれば、いいこともあるもんだと思います。
長生きはするもんだな、なんて思っています。

私は今、長生きをして150周年の大劇場で隣の方に「私が初めて宝塚歌劇を観たのは100周年のときだったの」と話しかける日を夢見ています。
夢は天から来た未来の姿、です。
そんな風に隣の席から話しかけられたときは相槌を打ってやってくださいね。

 

 

おめでとう、ありがとう

今日とても嬉しいことがありました。
おめでとう、という友人からのメッセージが。
もしかして、もしかして。

よく分からないハッスルの文字が見えた気がしたけれど、まずは確認をしようといつものホームページを開きました。このニュースが見たかった。

ありがとうございます、嬉しい、の気持ちで満たされました。


昔、新人公演を観に行ったときに、一人の方が周りのお仲間の方に「おめでとう」「おめでとうございます」と言われているところを見たことがあります。
「おめでとう」と言われた方はとても嬉しそうに「ありがとうございます」と返していた様子が印象的でした。

きっと、あの人のご贔屓は今日の、と思ったことを覚えています。
忘れられない光景で、たまにふと思い出していました。


別の友人も「おめでとう」とメッセージをくれました。
また「ありがとう」と返して、この事実が、友人が私の好きな方を覚えて連絡をくれることが、おめでとうと言ってくれることが、一緒に祝ってくれることが、私が代わりにありがとうと返すことが嬉しいのだなぁと思いました。
今回の事実が嬉しいのはもちろんですが、想像もできなかった嬉しさがありました。


あの日のあの方もそうだったのかな、なんて思っています。


私が代わりにありがとうと言うなんておこがましいにも程がありますが(私の言うありがとうを友人はどう受け止めているかは分かりませんが)、とっても嬉しかったです。

 

おめでとう、ありがとう。
おめでとうございます。
ありがとうございます。

観劇する日が楽しみです。

 

『BADDY』の話をしたい

衝撃のマイ初日から1日、チケットを買い足す夢を見ました(実話)。
昨日の観劇を何度も反芻しています。『BADDY』の話をしたくて、したくて堪らないのでどうぞお付き合いください。
ネタバレするので、ご観劇前の方はお気を付けください。

 

 

宝塚歌劇団104年の歴史で女性が初のショー演出 次々に驚きのシーン/芸能/デイリースポーツ online

「上田先生は『私がコケたら、もうショーの女性演出家が出ない』とおっしゃって…」と、稽古場の様子も明かした。


珠城さんがそう仰ったと記事には書かれている。
どこまで本当か、どこまで正確に伝えられているかは分からないけれど、保守的なこの劇団なら上田先生がそう仰ることもあり得るだろうな、と思いました。
このショーはかなりの挑戦だったのだろうと思います。今気付いたんですけど、「挑戦」は「戦いを挑む」と書くんですね。
だから形式としてはオーソドックスにオープニングがあり、中詰めがあり、ロケットがあって、男役群舞、デュエットダンス、フィナーレがあるショーなのかと思いました。「こんなのは宝塚歌劇のショーじゃない」と言う人がいたら「オープニングも中詰めもロケットも群舞もデュエットダンスもフィナーレもある、宝塚歌劇のショーですよ」と返すために、例えばロケットがショーの前半にあるような変則さもない、一般的な形態をしている気がしてきました。
この返しに答えるには「宝塚歌劇のショーとは何か」という本質的な議論が必要になってきて、簡単には言い返せないと思います。
ストーリー、構成など『BADDY』をきちんと見た上での批判があれば正面から受け止められるでしょうが、「新しいもの」を受け付けない人が言うことへの返しも用意してある上田先生の賢さが見えます。「私がコケたら、、」と言いつつ、コケない仕組みを作っている上田先生に乾杯です。


中詰めの「悪いことがしたい、良い子でいたい」という歌詞がすごく残っています。
悪いことがしたい、良いことをしたい、ではないんですよね。
BADDYたちの「悪いことをする(変化)」対してGOODYたちは「良い子でいたい(現状維持)」と歌う。悪/善ではなく、変化/現状維持という風に見ると……
変化と現状維持、それはまさしく今『BADDY』で上田先生が宝塚歌劇にしている挑戦(戦いを挑む)じゃないですか、と震えます。GOODYたちは伝統的な宝塚歌劇でBADDYたちは変化をもたらす上田先生、お互いを知って戸惑い驚く様はこのショーを観て驚き戸惑う客席みたいです。いつもの宝塚のショーが好き、でも『BADDY』もおもしろい。どちらにもいいところがある。
BADDYたちとGOODYたちがお互いに惹かれあうのはクラシカルな宝塚も宝塚らしくないと言われる変化もどちらも良いじゃねえか!というメッセージだと思っています。


勝手に解釈は以上で終了です。あとはもう感想です。

愛希さんが怒りと共に「私いま生きている」と歌い上げるのがすごく好きでした。
昔「生きるとは生きていると思うこと」と読んだことがあるのを思い出しました。どなたが言ったのか、有名なのかそうでないのか、もしかしたら私の記憶違いかもしれませんが、この言葉を思い出しました。
舞台にあるのは強烈な「生」でした。そのとき、ただ客席にいるだけの私も「生きているなぁ」と思いました。うまく言えないですが、生きていると思いました。
生きていると思わせられる舞台でした。すごいものを観ました。だから、もっと『BADDY』の話をしたいです。

 

 

BADDYマイ初日を終えて

衝撃のまゆぽんスチールから一夜、行ってきました宝塚大劇場へ。
BADDYを観て、数時間の感想です。ちなみに何が起こったか分かっていません。


あらすじ、小出しにされる情報、上田久美子先生のショーという未知具合から想像していたよりもずっとオーソドックスでクラシカルなショーだなと思いました。
オープニングがあり、スターさんが数人を連れての銀橋での繋ぎ、明るい場面、セクシーな男役の場面、銀橋を行ったりきたりして全員での中詰め。
いつもの宝塚歌劇のショーだなー、と思いました。

その後も男役娘役が組んで踊る場面、ラインダンス、男役群舞、デュエットダンス、フィナーレがあり、構成だけをみるとすごくオーソドックスなショーでした。


でも、とても斬新でした。
いつもみたいなショーなのに、何でこんなに違うんだろう。
ひとつのストーリーを持っているショーだからでしょうか。
ストーリーのあるショーは今までもあったと伺いました。私はこのようなタイプのショーは初めてなので、単に新しく感じているのでしょうか。
答えはまだ見つかりません。


偉大なるマンネリと称される宝塚歌劇
そのマンネリ化した形式の中で暴れまくったショーがBADDYなのかなあ、とぼんやりと思っています。
マンネリと化した形式を壊すことで新しさを出すことはいくらでもできると思います。
そんな単純な驚きではなく、マンネリを保持したままで今までとは違うという新しさに斬新さを覚えるのかもしれません。

 

何が起こったのか分からないので、また観に行きたいと思います。
何が起こるか分からない宝塚歌劇が大好きです。