吾輩はヅカオタである。

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絶望と

マイ初日の後に考えたことです。「神々の土地」の感想と「神々の土地」マイ初日の感想が別にあるんですね!私もびっくりです。

 

マイ初日の後は呆然として何も言えねえ状態でした。どうしてかと振り返ると大切に思っていたものや大事な人を失っても生きるしかないドミトリーが私にはつらく感じたのです。

大事な人を失う、それはまるで朝夏まなとというタカラジェンヌが夢の世界からいなくなる状況のようです。

私は朝夏さんが宝塚の舞台からいなくなっても生きなきゃいけないのか、と愕然としました。マイ初日を迎えたばかりの私には朝夏さんを失う、それ即ち絶望でした。

上田先生にあなたは大好きなタカラジェンヌを失っても生きなきゃいけないよ、と言われた気分でした。

とても悲しいことを突き付けられて私は呆然としたのだと思います。

 

 

ただ、上田先生のメッセージが「あの日々生きた場所だけ覚えている」という歌詞なのであれば。

 

大地が覚えている=劇団はタカラジェンヌの功績をきっと忘れないし、大劇場に来るたびに思い出せる、ということかと考えて何とか帰りました。

「神々の土地」の最後は約90分が凝縮されていて上演中に生まれた感情がもう一度思い出されました。美しい、ときめき、かなしい、切ない、という風に人々の生きた証と共に朝夏さんの今までの公演を観て生まれた感情も思い出しました。

楽しい、きれい、尊敬、嬉しい、しあわせ、そんな舞台ばかりだったなぁと思い出します。

ロシアの大地が覚えているし、大劇場が覚えている。私も覚えている。

私の中の思い出は消えないのであれば絶望しないで生きてゆけるかな、と。

私が全てを忘れてしまっても大劇場は覚えていてくれるなら。

 

大好きな人がいなくなっても、生きていかなければいけない。

けれども、覚えている。なくなったりしない。

 退団公演に盛り込んでくるにはあまりにも絶望と紙一重のエールでした。

でも確かに励ましです。