吾輩はヅカオタである。

名前はまだない。

あと1週間

2017年11月19日まであと1週間です。

早いですね。劇場で「TOP HAT」を観た日や退団発表が昨日のことのようなのですが、きっと時間は正しく流れているのでしょう。


コンスタンチンとラッダちゃん、星組副組長みきちぐさんのかっこよさについて、東京公演に行ってきました!など残したいことはあるのですが全く進まないまま、あと1週間です。


想像していたより穏やかな気持ちで過ごせています。

あと1週間何をすべきなのか。普段と同じ日々のはずが大切にしないといけない気がしています。

とにかくこの風邪を治そうと思います。

妖精、天使、もしくはタカラジェンヌ

星組「ベルリン、わが愛/ブーケドタカラヅカ」観てまいりました。

 

レビューの礼さんとの場面で「あ、天彩峰里ちゃんってやっぱり妖精さんなんだな」って思いました。

かわいくてしあわせそうで前々から気付いてはいましたが峰里ちゃんは妖精だったんだな、って思いました。

 

今回峰里ちゃんで特筆すべきはエトワールですね。

初日から良い評判は耳にしていたのですごく楽しみだったのですが、想像以上でした。

階段を降りてきて真ん中の歌い出す位置にいる峰里ちゃんが歌い出す前に目を閉じて、そして一呼吸置いて客席を見てくれました。

その目を閉じて開き客席を見るという一連の動作、些細で小さな動作がとても清らかでこれから歌うことをとても大事にしていることが分かりました。まばたきだけで引き付けられます。そんな小さな動作だけで私はしあわせな気持ちになりました。

そして、峰里ちゃんの歌声。

透明感があってすてきな歌声、天使の歌声とはこういうものかと思いました。

すごい、すごい、今私はすごいものを見ていると思って、その嬉しい驚きにあまり記憶がありません。最初はアカペラだったのと思っている記憶は正しいのでしょうか。客席が峰里ちゃんの歌声に引き付けられているピンとした空気を感じました。峰里ちゃんの澄んだ歌で大劇場が満たされていました。

本当に素晴らしかったです。峰里ちゃんの「ブーケドタカラヅカ」エトワールを観られてしあわせでした。

 

最近考えていることは峰里ちゃんは妖精なのか天使なのかということです。

妖精であり天使でもある、これがタカラジェンヌなんですね。

 

 

 

2017年9月25日に思うこと

しあわせなファン人生でした。

幸運なファン人生でした。

あの日、初めて宝塚歌劇を見て朝夏まなとさんをすてきだと思ってから、こんなところにまでやってきました。

抽選で当たった大好きな当日B席から観るサヨナラショー(前楽)はとても楽しかったです。

朝夏さんはしあわせそうでした。大劇場の後ろまで見渡してくださって、しあわせでした。

大きな劇場が朝夏さんに包まれていました。

いろいろなことを思い出しました。王家はあの子と観に行ったな、王妃/VIVA FESTA!!は初日に行ったこと、ソーラン宙組の楽しさ、トップハットも1番後列で観たこと、ダニエルとスタンが最高だったこと、役替わりを何とか観られたエリザベート、思い切って買ったシェイクスピアのチケット、どの公演も思い出がいっぱいです。

サヨナラショーを観ることができてしあわせでした。サヨナラショーを観てしあわせだったことを思い出しました。

しあわせでした。

私にとって宝塚歌劇宝塚大劇場なので、大きな区切りです。

昨日は大劇場を去りがたかったです。

もう、朝夏まなとさんがあの舞台に立つことはない。それでも、さみしさをかき消すしあわせがあることを知りました。

たくさんの思い出があるしあわせなファン人生でした。どの公演も見に行けて幸運なファン人生でした。

私の人生で幸運だったのは朝夏まなとさんを好きになれたことです。

 

 

 

絶望と

マイ初日の後に考えたことです。「神々の土地」の感想と「神々の土地」マイ初日の感想が別にあるんですね!私もびっくりです。

 

マイ初日の後は呆然として何も言えねえ状態でした。どうしてかと振り返ると大切に思っていたものや大事な人を失っても生きるしかないドミトリーが私にはつらく感じたのです。

大事な人を失う、それはまるで朝夏まなとというタカラジェンヌが夢の世界からいなくなる状況のようです。

私は朝夏さんが宝塚の舞台からいなくなっても生きなきゃいけないのか、と愕然としました。マイ初日を迎えたばかりの私には朝夏さんを失う、それ即ち絶望でした。

上田先生にあなたは大好きなタカラジェンヌを失っても生きなきゃいけないよ、と言われた気分でした。

とても悲しいことを突き付けられて私は呆然としたのだと思います。

 

 

ただ、上田先生のメッセージが「あの日々生きた場所だけ覚えている」という歌詞なのであれば。

 

大地が覚えている=劇団はタカラジェンヌの功績をきっと忘れないし、大劇場に来るたびに思い出せる、ということかと考えて何とか帰りました。

「神々の土地」の最後は約90分が凝縮されていて上演中に生まれた感情がもう一度思い出されました。美しい、ときめき、かなしい、切ない、という風に人々の生きた証と共に朝夏さんの今までの公演を観て生まれた感情も思い出しました。

楽しい、きれい、尊敬、嬉しい、しあわせ、そんな舞台ばかりだったなぁと思い出します。

ロシアの大地が覚えているし、大劇場が覚えている。私も覚えている。

私の中の思い出は消えないのであれば絶望しないで生きてゆけるかな、と。

私が全てを忘れてしまっても大劇場は覚えていてくれるなら。

 

大好きな人がいなくなっても、生きていかなければいけない。

けれども、覚えている。なくなったりしない。

 退団公演に盛り込んでくるにはあまりにも絶望と紙一重のエールでした。

でも確かに励ましです。

 

 

「神々の土地」の感想のようなもの

神々の土地の感想が下記の辺りで落ち着こうとしています。

 

「好き」と「大事」と「大切」は一致しないこともあるのだなと思います。

「神々の土地」に生きる人たちは好きだけどそれより大事にしているものがあったり、大切で好きでも我慢したりと簡単にはいかない。

もちろん大切なものはひとつとは限らなくて、たくさんある大事なものをその瞬間にどれを選ぶかなんて小さな差なんだろうなと思います。

自分や自分の決断が愚かだと気付いていても選んでしまうこともあるのですね。自分が間違っていると考えることは出来ても止まることはできない人間の弱さ、悲しさ、それはひょっとすると勇気なのかもしれません。

 

ドミトリーはロシアやオリガを大事に思っていたけれどイリナが好きだった。

イリナはドミトリーを好きでも止めなかった。ロシアもアレクサンドラも大事だった。きっとドイツだって大切だった。

フェリックスはそう思うとまっすぐだった。けれどドミトリーを止めたくともドミトリーの逃げないという決断を優先する。

オリガはドミトリーのことが好きで、家族が大事で、愚かだと分かっていても進む。賢い人でした。

 

皆の考えや行動が複雑で、その複雑さが生々しいなと思う。

気持ちは単純じゃなくて一筋縄でいかないけれど、客席で観ていて分かりにくさはない。ああ、そういうこともあるよね、と思える。

大劇場の外の現実での気持ちだって単純じゃなくて一筋縄ではいかなくて、複雑で、ドミトリーたちの選択もそういうこともあるよねと納得できる。

もっとうまく立ち振る舞えたろうにと思ってしまうけれど、懸命に生きた彼らが愛おしいです。

愛おしい人たちのお話です。

 

あと、観ている間はあまり朝夏さんの退団を意識することはないのですが、落ち着いて歌詞を読むとめちゃめちゃ退団やんけ……と驚きます。上田先生の技巧に驚きます。

そして歌詞から、「神々の土地」の主役はロシアの土地であり、宝塚大劇場であり、宝塚歌劇であり、すべてのタカラジェンヌではないか?と思っています。

あの人のことも私が客席にいたことも大劇場だけは覚えていてくれたらな、と願ってしまいます。