吾輩はヅカオタである。

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『BADDY』の話をしたい

衝撃のマイ初日から1日、チケットを買い足す夢を見ました(実話)。
昨日の観劇を何度も反芻しています。『BADDY』の話をしたくて、したくて堪らないのでどうぞお付き合いください。
ネタバレするので、ご観劇前の方はお気を付けください。

 

 

宝塚歌劇団104年の歴史で女性が初のショー演出 次々に驚きのシーン/芸能/デイリースポーツ online

「上田先生は『私がコケたら、もうショーの女性演出家が出ない』とおっしゃって…」と、稽古場の様子も明かした。


珠城さんがそう仰ったと記事には書かれている。
どこまで本当か、どこまで正確に伝えられているかは分からないけれど、保守的なこの劇団なら上田先生がそう仰ることもあり得るだろうな、と思いました。
このショーはかなりの挑戦だったのだろうと思います。今気付いたんですけど、「挑戦」は「戦いを挑む」と書くんですね。
だから形式としてはオーソドックスにオープニングがあり、中詰めがあり、ロケットがあって、男役群舞、デュエットダンス、フィナーレがあるショーなのかと思いました。「こんなのは宝塚歌劇のショーじゃない」と言う人がいたら「オープニングも中詰めもロケットも群舞もデュエットダンスもフィナーレもある、宝塚歌劇のショーですよ」と返すために、例えばロケットがショーの前半にあるような変則さもない、一般的な形態をしている気がしてきました。
この返しに答えるには「宝塚歌劇のショーとは何か」という本質的な議論が必要になってきて、簡単には言い返せないと思います。
ストーリー、構成など『BADDY』をきちんと見た上での批判があれば正面から受け止められるでしょうが、「新しいもの」を受け付けない人が言うことへの返しも用意してある上田先生の賢さが見えます。「私がコケたら、、」と言いつつ、コケない仕組みを作っている上田先生に乾杯です。


中詰めの「悪いことがしたい、良い子でいたい」という歌詞がすごく残っています。
悪いことがしたい、良いことをしたい、ではないんですよね。
BADDYたちの「悪いことをする(変化)」対してGOODYたちは「良い子でいたい(現状維持)」と歌う。悪/善ではなく、変化/現状維持という風に見ると……
変化と現状維持、それはまさしく今『BADDY』で上田先生が宝塚歌劇にしている挑戦(戦いを挑む)じゃないですか、と震えます。GOODYたちは伝統的な宝塚歌劇でBADDYたちは変化をもたらす上田先生、お互いを知って戸惑い驚く様はこのショーを観て驚き戸惑う客席みたいです。いつもの宝塚のショーが好き、でも『BADDY』もおもしろい。どちらにもいいところがある。
BADDYたちとGOODYたちがお互いに惹かれあうのはクラシカルな宝塚も宝塚らしくないと言われる変化もどちらも良いじゃねえか!というメッセージだと思っています。


勝手に解釈は以上で終了です。あとはもう感想です。

愛希さんが怒りと共に「私いま生きている」と歌い上げるのがすごく好きでした。
昔「生きるとは生きていると思うこと」と読んだことがあるのを思い出しました。どなたが言ったのか、有名なのかそうでないのか、もしかしたら私の記憶違いかもしれませんが、この言葉を思い出しました。
舞台にあるのは強烈な「生」でした。そのとき、ただ客席にいるだけの私も「生きているなぁ」と思いました。うまく言えないですが、生きていると思いました。
生きていると思わせられる舞台でした。すごいものを観ました。だから、もっと『BADDY』の話をしたいです。